2017年10月6日金曜日

「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」(勝海舟)

  勝安芳氏の答書

 従古いにしえより当路者とうろしゃ古今一世之人物にあらざれば、衆賢之しゅうけんの批評ひひょうに当る者あらず。不計はからず拙老せつろう先年之行為こういに於て御議論ごぎろん数百言すうひゃくげん御指摘ごしてき、実に慙愧ざんきに不[ママ]ず、御深志かたじけなくぞんじそうろう
 行蔵こうぞうは我に存す、毀誉きよは他人の主張、我にあずからず我に関せずとぞんじそうろう各人かくじん御示おしめし御座ござそうろうとも毛頭もうとう異存いぞん無之これなくそうろうおん差越之さしこしの御草稿ごそうこう拝受はいじゅいたしたく御許容ごきょよう可被下くださるべく候也そうろう
  二月六日
安芳
福沢先生
 せつ此程このほどより所労しょろう平臥中へいがちゅう、筆をるにものう[#「懶く」は底本では「瀬く」]らん蒙御海容度ごかいようをこうむりたくそうろう

昔から、その時代において国家を担い歴史を代表する人物でなければ、多くの智恵あり知識ある人々から批判されるということもありません。
思いもかけず、私のかつての行為に関して、議論をしてくださり、数多くの言葉で御指摘してくださり、本当に慚愧に堪えません。
深い御志、かたじけなく思っております。

私のしてきたことの責任や理由は私に存在しています。
それに対して批判したり誉めたりすることは、私ではなく、他人がすることです。
他人の批判や称賛については、私は関係し関与するところではないと思っております。

他の人々にこの文章を公表なさっても、全く異存はございません。
お送りくださった原稿はいただきたいと思っておりますので、このまま受け取ったままでいることをお許しください。

二月六日 勝海舟



 これは、福沢諭吉の「痩我慢の説」で批判された一人、勝海舟の返信である。
 その中の一節に「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候」がある。この訳を下記のブログがしてくれた。

http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20111201/1322665564

 勝にとっては福沢の批判をなんとも思っていなかった。
 私自身、障がい者問題で現在のあり方を厳しく批判しているため、かなりの反感を持たれているのだが、それはどうでも構わない。そこではっきり言えることは、生活者としての観点でどう解釈するかの違いで私はどうこう言うつもりはない。
 私の持つ障がいと、他の人の持つ障がいは一致するものではないからだ。違うからこそ、折り合えることを模索することも必要だろうと思う。