2017年5月18日木曜日

優生学とレイシズムは一体である

優生学(ゆうせいがく、英: eugenics)は、応用科学に分類される学問の一種で、一般に「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」と定義される。1883年にフランシス・ゴルトンが定義した造語である。
優生学は20世紀初頭に大きな支持を集めた。その最たるものがナチス政権による人種政策である。しかし、多くの倫理的問題を引き起こしたことから、優生学は人権問題としてタブーとなり、第二次大戦後は公での支持を失っていった。
※Wikipedia日本語版より引用


 私が『聲の形』(大今良時)を厳しく批判するのは、この優生学があるためである。
 聲の形のヒロインの西宮硝子ではないが、ヘレン・ケラーと交流があった人物に電話を発明したことで知られるアレクサンダー・グラハム・ベルがいる。1881年にベルはマサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤード島における聾者の人口比率を調査した結果、聴覚障がいは自然に遺伝すると結論付け、聴覚障がいを遺伝しない結婚を奨励した。その他多くの初期の優生学者と同様に、彼は優生学的意図から移民の制限を提起し、「ろうあ者の寄宿学校がろうあ者の産出の場となっていると考えられる」と警告した。
 その当時これらは人権上容認されていたのである。ネットにおける障がい者や在日コリアンへのヘイトスピーチはそれと殆ど変わらないのではないか。これでは絶対に許されない。ベルのアメリカではそれこそイギリスやナチス・ドイツも顔負けの政策が早期から実施されていた。
 アメリカ断種法なるものが1907年にインディアナ州で制定されてから20世紀の大半に渡って、知的障がい当事者や梅毒患者、挙げ句の果てには性犯罪加害者にまで断種手術が行われた。1898年、米国の著名な生物学者であるチャールズ・B・ダベンポートはコールド・スプリング・ハーバー生物学研究所所長として植物と動物の進化に関する研究を開始し、1911年の著作『人種改良学』でダベンポートは数年間に渡って膨大な量の家系図を収集し、不適者達の存在は経済的かつ社会的に劣悪な背景が遠因となっていると結論付けた。ダベンポートや心理学者のヘンリー・H・ゴダード、自然保護論者のマディソン・グラントなどの優生学の信奉者達は、「不適格者」の問題への解決について様々なロビー活動の展開を開始した。ダベンポートは最優先事項として移民制限と断種に賛意を表した。ゴダードは自著『カリカック家』(1912年)において人種隔離を主張し、グラントはこれら全てのアイデアに賛意を表し、かつ絶滅計画も示唆していたのだからおぞましい。
 ダベンポートは、1929年の著作『ジャマイカにおける混血』において、黒人と白人の間で生まれた混血の子供は生物学的にも文化的にも劣っているという統計学的な証拠が示されたとした。これは今日では科学的人種差別と見なされている。さらにダベンポートは、ナチス・ドイツの研究所とつながりがあり、ドイツの2つの学術誌(1935年創刊)の編集委員や、1939年には劣等人種の隔離政策にかかわったオットー・レーヒェ(ドイツ語版)に対する記念論文集に寄稿している。
 更に群を抜いて多数の強制的な断種手術が実施されたカリフォルニア州の断種手術に対し、生物学者ポール・ポパノウが好意的な報告書を出版し、この報告はナチスドイツにも影響を与えた。第二次世界大戦後、ニュルンベルク戦犯法廷に引き出されたナチスの行政官達は、米国の事例を引用することで、ナチス政権による大規模な断種計画(10年に満たない期間に45万人が手術を受けさせられた)は異常なことではなく、国際的には一般的であったとして、正当性を主張した。
 つまり、ナチス・ドイツの生みの親はある意味アメリカでもあったのだ。更に1924年移民法の制定によって優生学的な発想は強化してしまった。これらの法律では最上位にアングロ・サクソンとスカンジナビア人が位置付けられ、下に向かって事実上移民から完全に閉め出された日本人と中国人に至る格付けが行われた。挙げ句の果てには産児制限なのだから、唖然ではないか。
 では、なぜレイシズムと優生学は一体であると私が言い切るのか。あのナチス・ドイツの最高指導者だったアドルフ・ヒトラーが優生学の信奉者だったからだ。彼は「ドイツ民族、即ちアーリア系を世界で最優秀な民族にするため」 に、「支障となるユダヤ人」の絶滅を企てた(ホロコースト)以外に、長身・金髪碧眼の結婚適齢期の男女を集めて強制的に結婚させ、「ドイツ民族の品種改良」を試みた。民族衛生の旗の下に実施された様々な優生計画を通して、「純粋ゲルマン民族」を維持する試みが行われた。
 ナチス政府は、自らの遺伝理論を検証するために様々な人体実験を行った。それは単純な身体的特徴の測定から、ヨーゼフ・メンゲレがオトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアーに対して強制収容所で行わせた双生児への驚愕すべき実験まで広範に渡るものである。1933年から1945年まで、精神的または肉体的に「不適格」と判断された数十万の人々に対して強制断種を行い、強制的安楽死計画によって施設に収容されていた数万の人々を殺害した悪名高いT4作戦はその一端にすぎない。その一方で「積極的優生政策」をも実施し、多産のアーリア民族の女性を表彰し、また「レーベンスボルン(生命の泉)計画」によって「人種的に純粋」な独身の女性がSS(ナチス親衛隊)の士官と結婚し、子供をもうけることを奨励した。
 あまりにも強烈に政策を推し進めた結果、人々は優生学をおぞましいものと認識し、臭いものには蓋的な発想で逃げているが、そうは問屋が卸さない。ナチス・ドイツ以前のドイツでも1933年に遺伝的かつ矯正不能のアルコール依存症患者、性犯罪者、精神障がい者、そして子孫に遺伝する治療不能の疾病に苦しむ患者に対する強制断種を可能とする法律が立法化された他、スウェーデン政府でも40年の間に優生計画の一環として6万2千人の「不適格者」に対する強制断種を実行している。カナダ・オーストラリア・ノルウェー・フィンランド・デンマーク・エストニア・スイス・アイスランドで政府が知的障がい者であると認定した人々に対して強制断種が行われた。カナダとスウェーデンにおいては、1970年代に至るまで、他の医療行為と同様に精神障がい者に対する強制断種を含む大規模な優生学プログ ラムが実行され続けた。スイスでは、精神病患者などの強制的な堕胎、不妊手術が1981年まで続いた。
 日本は他人事かと思うだろう、どっこいそうはいかない。開国、大政返還等の混乱の中でこの危険な発想はまず、国際結婚という形で持ち込まれた(最初に断っておくが双方が愛し合う限りにおいて、私は人種を問う事なく結婚に対しては祝福する立場であるが、己の遺伝子をよくしようとかという血の神秘的迷信については異議あり!と言っておく)。
 1916年に保健衛生調査会が内務省に設置され、ハンセン病者への隔離を実施し、断種政策とも関連が深い癩予防法の制定へ向けて政府関係者自らが「民族浄化」を叫ぶなどした。民間からの優生学の信奉者も相次いた。1930年には、永井潜を中心に日本民族衛生学会が結成された。この団体は形を変えて残っているが、『民族衛生』を刊行し、通俗講演会も積極的に行ったほか、優生結婚相談所の開設や映画『結婚十字街』の製作など注目すべき事業も行っている。またアイヌの調査も有名である。
 1938年戦争に対応するため厚生省が作られ、予防局優生課が『民族優生とは何か』など優生政策をすすめた。1940年、人工妊娠中絶条項は国会の反対で大幅に修正されたものの、遺伝性精神病などの断種手術などを定めた国民優生法が公布された。この法による断種手術は1941年〜1947年で538件だった。しかし厚生省の意図とは異なり、当時の「産めよ増やせよ」の国策に加えて、天皇を中心とする家族的な国家観が強制断種と馴染まなかったなどの理由から、優生的な政策は必ずしも実効を結ばなかったとされる。
 このことからもファシズム=レイシズムと優生学は極めて一体であると皆さん理解できたではないか。しかも、レイシズムはオブラートな言葉を使って騙す。1948年「優生保護法」がいい例ではないか。この法律は、優生学的見地からの強制断種が強化される原因になった。元日本医師会会長でもある自由民主党の谷口弥三郎参議院議員を中心とした超党派による議員立法で提案された同法は、当時必須とされた日本の人口抑制による民族の逆淘汰を回避することを提案理由として、子孫を残すことが不適切とされる者に対する強制性を増加させたものとなった。
 同法は、ハンセン病を新たに断種対象としたほか、1952年の改正の際、新たに遺伝性疾患以外に、精神病(精神障がい)、精神薄弱(知的障がい)も断種対象とした。1952年から1961年の間にの医師申請の断種手術件数は1万以上行なわれた。またあわせて遺伝性疾患による中絶も年に数千件あった。これを消滅させるべく、1997年に法改正がなされ、名称も母体保護法と変更された。
 更にインドではヒンドゥー至上主義政党の中で最も過激として知られるシヴ・セーナーが、カースト制度最上位階層の多くを占めると言われるアーリア系について優生学的擁護を訴える政策をしばしば提言し、じわじわと支持を広げている。
※今回の記事に際してはWikipediaの優生学を参考にしました。

 『聲の形』にホロホロ言っていた人達に告ぐ。
 こういった危険性を承知で見ているのならまだしもよかろう。しかし、こういったことの知識なくしてただ見ていて『感動した』と思うのでは、悪名高い『小泉アホバカ間抜け単純一郎』元自称首相を生み出すことになる。

やまゆり園、建て替え決定 県「改修では支援困難 相模原殺傷事件

 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件を巡り、県は23日、事件再発防止対策・再生本部会議を開き、同園の施設を 現在地で建て替える方針を正式に決定した。黒岩祐治自称知事(神奈川県の正統知事は鴨居洋子氏であります)は会見で、「施設の全体に血痕が付着するなど甚大な被害が及んだため、改修だけでは適切な支援を継続するのは困難と判断した」などと述べた。開会中の県議会第3回定例会に施設の基本構想策定に関する補正予算案を追加提出する。
 黒岩自称知事は建て替えの理由について、建て替えを要望した入所者の家族会と施設の指定管理者「かながわ共同会」の意向を反映できるとした上で、「再生のシンボルとなるような、理不尽な事件に屈しない強いメッセージを発信していく機会にしたい」と『説明』した。
 建て替えは、事件の起きた居住棟2棟と管理棟が対象。総工費は60億~80億円と見積もっている。2016年度に基本構想策定、17~18年度に基本・実施設計、19~20年度に新築工事を行う予定。
 建て替え中の入所者の仮居住先については、県内の県立施設を活用。17年春から順次移動してもらう。
 県はこれまで建て替えや大規模改修について検討してきた。一方、今月12日に家族会とかながわ共同会が、それぞれ(1)津久井での建て替え(2)建て替えまでの安定した生活環境の早期整備-を求める要望書を県に提出していた。

 神奈川県は相模原市の障がい者施設襲撃虐殺事件の現場となった施設の建て替えを決めた。黒岩自称知事は「再生のシンボルとなるような、理不尽な事件に屈しない強いメッセージを発信していく機会にしたい」と述べているようだが、優生学に基づく『聲の形』を手話普及のマスコットキャラクターに使う段階でその言葉は終わっている。
 即ち、奴隷の論理にズッポリ埋まってしまうのだ。そのことに対して疑問を持たない段階で、ネオナチジャパンの奴隷化政策に取り込まれているのではないか。
 私たちは奴隷ではない。障がい当事者は健常者の慰めではない。思い上がるなと言いたい。極右や極左を一人前として扱う必要はないと私は考える。そういう輩は容赦なく上から目線で叩き潰すまでにすぎない。