2017年2月14日火曜日

人を感情で断罪したかわいそうな人達に~被害者を被告人と一緒になって傷つけた~

 今回取り上げる『裁判』の結果は、私としては何も言うことはしない。
 判決としては置かれた状況からしてもかなり被害者サイドに配慮しつつ、被告人が精神疾患であることも踏まえると、決して軽くはないということだ。
 むしろ私が強い怒りを覚えるのは被害者遺族の独善性だ。国際法上一切許されない被害者参加制度で参加して法廷の秩序をことごとく破壊し、国際法で言う法廷侮辱罪を犯した。そして、己等の犯した最大の失態、ネチケット教育の不徹底の罪に対して反省がないというのは恐ろしい。
 それでいて何が死刑を求めるのか。聖書の言葉で一蹴できる。

ヨハネによる福音書 8章3~11節
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

 「ここは日本だ」という死刑賛美派の屁理屈はこれで完全に破綻した。
 今回取り上げる被害者遺族の『言葉』から、私達は彼らの犯した重大な罪を学び、反面教師にすべきであると言っておくしかない。なお、被告人も含め、実名検索も書き込みもしないよう警告する。そして、事件で得られた教訓を今後の社会の問題の解決に向けて活かすことが被害者に対する償いになると指摘したい(私達は忘れられる権利を尊重すべきだ)。
 また、被害者遺族に指摘しておこう。判決が不満なら、被告だけを対象に民事訴訟を行い、慰謝料と居住制限などを課せばいいまでのことなのだ。
 最後に言おう、被害者遺族が被害者の犯した罪を受け入れると同時に、失われた未来が被告人への憎悪なしに安らかな形で癒やされることを心より望む。感情的断罪では、被害者遺族が被告人と一緒になって被害者を冒涜するようなものである。
 そんなことを、被害者は求めているわけがない。


毎日新聞 2/8(水) 16:00配信
<東京都内ストーカー事件>「懲役22年は軽すぎる」両親が心境
 東京で2013年に女子高校生(当時10代後半)を刺殺したとして、殺人罪などに問われた無職の被告(20代前半)に対する懲役22年の実刑判決が8日までに確定した。差し戻し後の東京高裁判決に対して検察、被告側がいずれも上告しなかった。判決確定を受け、女子生徒の両親が心境をつづった談話を公表した。(以下は全文。※は毎日新聞による注釈)
※倉野注:尚、被告人の実名も伏せます。くれぐれも検索しないよう、警告します。

◇「長かった裁判を終えて」
2月8日
被害者両親
 長かった裁判がようやく終わりました。今回の裁判についての私たちの思いは色々あり、いまだ、整理できていませんが、その一端を述べさせていただきます。
<1> 量刑のこと
 被告人は懲役22年に決まりました。この刑では軽すぎるという私たちの考えは今でも変わりません。
 何の落ち度もない娘の命が奪われた犯罪に対して、判決が懲役22年というのは、被害者という立場を離れても、軽すぎるのではないでしょうか。裁判員裁判でありながら、司法の判断は普通の人の良識とはかけ離れている、と私たちは感じています。この間色々考えましたが、その理由の一つは、量刑分布表の問題があり、もう一つは有期懲役刑の上限が20年である、という点にあると思います。
 裁判員裁判では量刑分布表が裁判員に示され、裁判所、検察官、弁護人の三者がこの量刑分布表をベースにしています。分布表は、動機が男女関係、凶器の有無などの検索条件を設定して量刑分布が表になっていると聞いています。個別の事実は表からは全く分かりません。加害者と被害者の関係性は、それぞれの事件で違うにも関わらず、男女関係にあったという一事で、「付き合ったから仕方ない」と被害者に責任の一端を負わせていると思えます。付き合ったことで、刑を軽くするのは、加害者を利するだけで全く不公平です。量刑分布表に裁判員が大きく影響されていると思います。これらの資料に誘導されて判断するというやり方では厳正な裁判とは言えないと思います。
 殺人罪の有期懲役の上限は20年です。有期と無期、死刑の間に隔たりがありすぎます。最初の1審の裁判所は、本件は、住居侵入罪、銃砲刀剣類所持の罪と併せて有期懲役刑の上限を選択しても懲役22年でした。
<2> 最初の第1審の判決について検察官が控訴しなかったこと
 最初の第1審で検察官は無期懲役を求刑しながら、懲役22年の判決に対して控訴しませんでした。控訴しなかったため、差し戻し審1審は殺人罪等について懲役22年を変更することはできなくなりました。被害者の立場を十分に代弁し尊重すべき検察に対しては、大変悔しく、残念です。それは自分たちの使命を放棄したとしか思えないからです。
<3> 破棄差し戻しした東京高等裁判所の判決について
 驚きと怒りの気持ちが起きました。同時に新たに闘いなおすしか方法がないと思い、児童ポルノ画像配信に関して追起訴するしかないと即時に判断しました。(※画像をネット投稿したいわゆる「リベンジポルノ」の行為については、遺族から告訴を受けた検察が児童買春・ポルノ禁止法違反などで追起訴した)
<4> 被害者参加制度のこと
 私たち被害者の意見がどの程度裁判に反映されたのかは、本当のところよく分かりません。もっとも、弁護人は懲役15年が相当であると主張していましたから、参加しなければもっと軽い処罰に終わったのかもしれません。被害者参加したことは無駄ではなかったという気持ちもあります。
 また、差し戻し審の東京高等裁判所が、児童ポルノ画像配信に関する追起訴の経過について、被害者の意向を尊重する判示をされたことは、評価しています。

 また、もう一つ苦言で追加。
 少年法の改悪がまたしても画策されているが、私は少年法を北京ルールズに合わせて『青少年法』に抜本改正し、如何なる犯罪に関して死刑判決を許さないように切り替えるべきだと指摘する。それが国際社会が日本に求める国際貢献なのだ。
 南スーダンへの自衛隊派兵よりも、辺野古への米軍基地違法建設犯罪よりも、数段有意義なものであることは言うまでもない。死刑禁止は過去の少年犯罪(青少年はここでは0歳~25歳までとする)とし、如何なる判決に優越するものにすべきだ。
 では、遺族のケアはどうするか。当然行うべきなのは言うまでもないが、被告人に反省と償いを求める権利はある。ただ、私は感情的断罪は断じて許さないと何度も繰り返している。今回の被害者遺族も残念ながら、この私の怒りを止めることは出来ない。