2017年1月24日火曜日

"この世にはいくら考えてもわからない、 でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う 君たちも大人になればわかるさ。 ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ。"(スナフキン)

 今回はスナフキンの言葉から、ネットの歪んだAll or NothingにNoを突きつける。
 このスナフキンはムーミンシリーズでは自由と孤独と音楽を愛する放浪の吟遊詩人だ。セリフに対して私なりのコメントを書いていこうと思う。

「この間も話したように、僕は孤独になるために旅をするんだ。 長い間の孤独の生活から、 春、このムーミン谷に帰って来た時の喜びは… なにものにもかえがたいものだよ」


"大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ"
 この言葉、今のネットの使い方をわからない人達にはぴったり当てはまる。
 ネットというのは目的を持って使わなければ意味は無い。それはいかなる万物にも言える。そして今の日本人はいわばネットの奴隷に成り下がっているのである。


"「そのうち」なんて当てにならないな。いまがその時さ"
 グズグズしていたら置いてけぼりになるということはある。
 物事を踏まえた上で決断しないと意味は無い。

"いつもやさしく愛想よくなんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ。"
 これも上記と同じ。
 シンプルにやらないといけない時だってあるのだ。

"人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ"
 ネットに振り回されている、ネトウヨになっている連中、そしてそのネトウヨに罵詈雑言の悪循環で迫る人達はみんな当てはまっている。
 私はある意味疲れて、ネットに対してある程度の距離をおいた。


"この世にはいくら考えてもわからない、でも、長く生きることで解かってくる事がたくさんあると思う。君たちも大人になればわかるさ。ある意味で、大人は子どもよりももっと子どもみたいになることがあるんだよ。"
 この言葉、最近の政治家共を射抜くにふさわしいのではないか。堂々とヘイトを吐くようでは終わっている。まさに、奴隷の主人は奴隷だったという笑えない話だ。その世界観に関係しているのが次の話だ。

"その奥さん、親戚は多いし知り合いも沢山いたんだ。でもね、言うまでもなく”知り合いが沢山居たって友達が一人も居ない”って事は有り得るんだよ"
 ヘイトによって結ばれた者達の絆は非常に脆いということだ。
 更に突っ込んで言えば、最近の人付き合いは表面でしか見ない傾向がある。だから、まともな人は馬鹿らしくて一線を画すのである。

"ムーミン「義務って何のこと?」
スナフキン「したくないことを、することさ」"
"自由が幸せだとは限らない"
"何か試してみようって時には どうしたって危険が伴うんだ"
 自由と権利、義務を語るにはこれほど適した言葉はない。

"人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。その人にはその人なりの考えがあるからね"
 これは説明するに値しないほどいい。

"それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。ぼくたちには、用のなくなった道具だもの"
"何でも自分のものにして持って帰ろうとすると難しいものなんだよ。ぼくは見るだけにしてるんだ。そして立ち去るときにはそれを頭の中へしまっておくのさ。そのほうがかばんをうんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからね。"
"ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものをふやすということは、ほんとにおそろしいことですね"
 ものに対する執着心はこれで捨ててしまえばいい。

"人間もみんなにこわがられるようになると、あんなにひとりぼっちになってしまうのさ。有名になるなんてつまらないことさ。はじめはきっとおもしろいだろう。でもだんだんなれっこになって、しまいにはいやになるだけだろうね。メリーゴーランドにのるようなものじゃないか"
"人の涙をもてあそんだり、人の悲しみをかえりみない者が涙を流すなんておかしいじゃないか。"
 ネットでヘイトを吐いて有名になっているネトウヨにはこの言葉がぴったり当てはまる。

"生きるっていうことは平和な事じゃないんですよ"
 だからこそ、他人への思いやりを忘れてはいけない。私は基本としては干渉しないという思想を強く持つようになった。


 世間では『稀勢の里』と称する力士が『優勝した』と騒いでいるが、私には興味がわかない。
 彼は姑息な手法で大関の地位を汚し、反省すらしなかった姑息漢にすぎない。そんな男のどこに横綱を張れる資格があるのか。せいぜい、今のうちにふんぞり返っているがいい。メッキが剥がれて、その姑息ぶりがまた顕になるのは目に見えている。