2016年10月1日土曜日

緊急コメント・『聲の形』は優生学を正当化するアリバイ作品にすぎない



 アメーバブログでQ太郎女史のブログが復活したため、コメントをさせていただいた。
 その際に大今良時の『聲の形』批判に触れたので、Q太郎氏から批評を要請された。
 そこで、この場を借りて改めて行いたい。ただ、映画そのものについての評価は基本的に回避させていただきたい(映画についてはDVD等が出たら確認をする予定)。私は原作の持つ危険性から、何度も危険であると指摘をしてきた。
 実は拙ブログで何度も繰り返してきたが、この作品には深刻な3つのミスが有ると以前私は指摘した。

 1.取材能力の皆無
 2.道徳的欠落
 3.批判を受け入れない独善性

 取材能力の皆無についてはスマートフォンの登場から遡って調べれば、人工内耳に保険の適用がされており、登場するヒロインの難聴は改善できる可能性が遥かに高い。
 そのことを書かない段階で、大今は障がい当事者を明らかに侮辱しているとしか思えない。しかも母親が手話通訳者ということからも知ろうと思えば把握できていた。
 道徳的欠落とは、いじめ加害者の首魁に祭り上げられた主人公だけを批判し、取り巻き共への作品内への制裁がなかった道徳的な責任追及のなさである。
 特に批判を受け入れない独善性は、原作での映画作成に対して厳しく評価した評論家を出したことで、自身への批判に対する居直りであることをいみじくも露わにした。
 更に私は多くの市民団体と対話を重ねてきた。拝聴を専門とするボランティア団体も厳しい評価だった。
 その他にも障がい当事者の家族の会からもブーイング、私がお世話になっている社会福祉士の方も激怒する有様だった。
 更にはひきこもり問題に取り組む私の知り合いの会社経営者も、障がい当事者の一般就労に取り組む人達もこの作品に対して深刻な危機意識を持っている。
 そして、今のネオナチジャパン体制に当てはめてみれば、唯一当てはまる思想がある。
 そう、姿を変えた優生学そのものなのである。しかもこの優生学は今までの日本型優生学と違い悪質度は際立って高い。
 元フジテレビの長谷川豊が人工透析へのヘイトを吐いてテレビ大阪の番組を降板されたほか、在特会の高田誠や相模原障がい当事者施設連続殺傷事件の被疑者(裁判が行われていないので断言できないが)、土浦・荒川沖連続殺傷事件の元死刑囚がガザツ(もしくはそうだと思われる)な方なのに対して、『聲の形』は巧妙な優生学なのである。
 私は連載時から何度もこのブログで批判を繰り返してきた。『倉野 イカロスの翼 聲の形』で検索すればそこそこヒットすると思う。
 そもそも、美少女障がい当事者を出した段階である意味危険なリスクである。
 「生い立ちが不幸だ、かわいそうだ」という強者の視点にみんな陥ってしまう危険性がある。
 障がい当事者は合理的配慮という最小限の補助輪によって社会的自立を目指していく。私はその道を見つけたが、いずれそのような人は増えていく。
 そういった人に対して極めて無礼である。
 更に一歩踏み込んで主人公の生い立ちや生き様を踏まえて解析すれば、明らかな発達障がい当事者である(ただ、私は精神科医ではないので断言はできないが私自身の発達障がいの経験から)。
 「かわいそうかわいそう」で終わらせ、問題点が見えなくなる危険性があると私は危惧してきたが、その危険性は更に高くなったと言わざるをえない。
 生活者としての観点がぼろぼろに抜けているのだ。
 これでは結果として優生学を正当化するアリバイ作品にすぎないのだ。
 これでいいとは、私は思えない。

 1985年に上映された映画『やがて…春』ではいじめ加害者への厳しい制裁と反省を描いている一方で、傍観者達の罪も厳しく突いている。
 その描写力と比較すると、『聲の形』は皇居の周りをジョギングして皇居の中の人の生活を妄想するようなものなのである。
 更にもう一つ、突っ込んでおこう。アニメ映画『どんぐりの家』では難聴当事者の要素だけではなく、知的障害などの問題も描いている。
 こういった優れた過去の作品があるのに、今の作品はそれすら乗り越えることが出来ていない。

 更にこの作品が明らかに低レベルなのは、無断でアニメーション動画がYoutubeにアップデートされている(ただ、これらは炎上キャンペーン動画の一種にすぎない)他、原作に至ってはZIPファイルが無断で上がっている。
 私自身はこの作品については立ち読み・あらすじ及び感想ブログでしか知らないのだが、ハッキリ言ってひどいの一言に尽きる。
 宮﨑駿氏はこの作品に対してどう思うのだろうか。

 大今は『手塚賞』を受賞しているが、本家本元の手塚治虫氏は『どろろ』で差別に苦しみながらも生きようとする青年を描いた他、『アドルフに告ぐ』ではナチス・ドイツに人生を翻弄された二人の男を描いている。
 こうした作品に触れてきた人達には『聲の形』原作の内容はなんと思うのだろうか。