2016年9月12日月曜日

いのちを粗末にするエンターテインメントへの違和感

 『聲の形』、『四月は君の嘘』、『進撃の巨人』が最近映画(アニメ)化されている。
 うちアニメ化されて地上波で流れたのは『進撃の巨人(進撃の巨人中学校も含めるが、後者はコメディになっているので害はない)』、『四月は君の嘘』だが、これら3つの作品に共通しているのは講談社が発行元ということばかりではない。命を明らかに粗末にしたその場しのぎのエンタテインメントという面で完全に一致している。
 単に『絵がすごい』『ストーリーがすごい』程度でアニメ化されるのなら、それには大きな問題点がある。流れることで社会にどういう影響があるかということだ。木村拓哉のドラマで出てきたバタフライナイフがいい例だろう。結果殺傷事件が起きてしまった。言葉の恐さをあまりにも軽く見た結果、人は暴走するのである。

 明仁天皇が生前退位を事実上表明した。
 それは彼なりの判断であり、様々な事が囁かれているのだがここではそれを述べない。しかし、彼はいわゆる昭和天皇の病気やご逝去に伴い生まれた社会の自粛ブームに疑問を持っていた事を明かしている。皇室一つとってもこんな影響があるのだから、たかがアニメや映画だと思ってはいけない。例えば私は渡辺淳一の『失楽園』や『愛の流刑地』については道徳上の観点から批判的だ。これらはいずれも『純愛』という名前で不倫行為を正当化しているとしか思えない。その事によって傷つく人もいるのだということを免罪符にしていいのだろうか。
 不倫によって人生に大きな影を抱えている評論家にあの佐高信氏がいる。そのことを踏まえると、私は不倫はしたくないし、する気もない。その佐高氏は渡辺に批判的だったのもそうした実体験ゆえなのだろう。
 言葉の重みを全くわかっていないから、命の重みを全く理解できていないから、安易に言葉を発するのだろう。そういう愚か者がもはや日本中はびこっている。お笑い芸人で言えば北野武、松本人志、島田紳助、ヘイトスピーチ傀儡で言えば高田誠、安倍晋三、橋下徹、曽野綾子がその代表格なのだろうが、あまりにも無知で、バカで、愚かで無責任だ。彼らは言葉によって最後罰されるのではないか。

 カトリック教会の式典で使われる言葉で締めたい。

わたしは、思い、ことば、行い、 怠りによって、たびたび罪を犯しました。

 この言葉を、言論者達は噛み締めねばならないのである。それを自覚する以上、とても弱者へのヘイトスピーチなどできるわけがない。