2013年10月17日木曜日

地方百貨店を考える 千葉・田畑百貨店の場合



 今回は現在の千葉パルコである田畑百貨店を取り上げる。
 なお、Wikipedia日本語版では不完全だったので今回も千葉日報などを調べてここに打ち込む。

 1947年 1946年まで外務省に勤務し、中国から引き揚げてきた夷隅郡御宿町出身の田畑国利が衣料の行商をしながら千葉市栄町で古着屋を開いた。その後衣類・雑貨へと販売品目を拡げる。
 1949年7月 田畑商店を設立。
 1950年 千葉市中央2丁目にメリヤス雑貨専門店を開店。
 1964年 メリヤス店敷地内に地上6階建てで百貨店法による百貨店を立ち上げた(法人は田畑百貨店と田畑商店で国利は両社の社長に収まった)。その後も田畑百貨店は敷地を買収する。
 1968年 伊勢丹が運営していた十一店会(百貨店の共同購買組織、現在の全日本デパートメントストア開発機構(通称ADO))に参加し、業務提携を伊勢丹と交わす。千葉県に拠点がなかった伊勢丹は田畑百貨店を拠点にした。
 1969年 田畑百貨店を地上8階、地下3階に改築。
 1970年 伊勢丹が田畑百貨店に30%出資。「おしゃれと暮らしのプロムナード」をテーマにした。
  1971年5月12日 深夜1時28分頃に田畑百貨店1階から出火、それから16時間後の午後5時35分まで8階建ての店舗(1万1000平方メートル) は火に包まれた。一酸化炭素やシアンガスなどの有毒ガスをまき散らし、迷路に近い店内の構造、窓の内側に商品棚があって放水効果が上げられない、拡張に拡張を重ねた「迷路のような店舗」だから安全対策も追いつかない(スプリンクラー設置も後手後手になっていた)ためだった。国利は「住み込み社長」を自称しており、自宅を新築しても「ここが一番性に合う」として社長室か宿直室に泊まり込んでいたために一酸化炭素中毒で亡くなった。ワンマン経営者特有の浪花節の如き情けの深さもあった(その為従業員から慕われていた)。
 1971年6月5日 国利の義理の弟である川嶋賢致西武建設常務(当時、後の西武建設社長)を通じて1971年6月5日にセゾングループの支援を受け、伊勢丹との提携を解消。7日には国利の長男で当時24歳だった正道を社長に据えた。
 1974年6月13日 ファッションに専念した百貨店としてオープンした(食品売場は西友)。
 1976年7月20日(火曜日) 売上不振のために田畑百貨店は閉店。
 1976年12月1日 千葉パルコ開業。

  この百貨店についてのコラムを私は書いた際に思ったのは叩き上げ経営者が陥りやすい罠、拡大一辺倒路線、言い換えてしまえば強引な拡大路線である。強引な 手段では組織に備わる人の対応能力も限界になる。倒産する企業では大概、そうしたものが浮き彫りになる。そうなれば、国利の後継者も育つ筈がない。
  これはライブドアでもいえた。堀江貴文の後継者がいないまま、無能な平松某がおそ松くんも顔負けの安売りだけの無責任経営をしでかした訳だ。田畑百貨店の 場合は正道を担いで、セゾングループが事実上経営していた。そして田畑百貨店をパルコに掛け替えただけだ。のれんに対する愛着が違っていたのだ。これは、 丸井今井を破滅に追いやった伊勢丹や無責任経営者にもいえることだ。
 もう一つは百貨店という商売。言ってしまえばファストフードの売れている地 域に高級レストランで殴り込みをかけただけであり、その時代にどう対応するのかという対応能力に田畑百貨店は欠けていた。扇屋がジャスコグループ(現イオ ンリテール)と提携して対応したのに対してセゾングループは独自の世界観を持ちすぎた。その結果、堤清二氏や和田慎治氏が驚く社員のだらけた社風につな がったのだ。ライブドアは社長の拡大路線実現なら何でもできた社風だったのではないか。これでは、世間的にずれる。百貨店でまだしもforever21や H&M、ユニクロを誘致しているだけましで、今更ルイヴィトンやグッチが値引きされても買うほど消費者は甘くない。
 このままでは、西武百貨店とそごうがセブンアンドアイに飲み込まれたような動きが大手百貨店に確実に出る。イオンは虎視眈々と大手百貨店への資本参加を狙う筈だ。そこから、後は時間 をかけて飲み込めば傘下のマイカルビブレをその百貨店ブランドに管理させて、百貨店に出店する関連ブランドをジャスコやサティに出店させるだろう。そうな れば百貨店とGMSの違いは全く分からなくなる。違うのはコスト削減の違いだけだ。
 この事からみなさんはどう考えるか。我が拙論で言わせてもら えば急激な路線拡大は危険な事である。江戸城などの建設物一つとっても土台が固まらなければ出来ない様に、組織も安定した基盤があって初めて成り立つの だ。田畑百貨店は急激な成長を求めた余り組織の基盤を自ら破壊してしまった。その結果田畑の死去で組織は不安定になりパルコと西友に身売りせざるを得な かったのだ。これはライブドアにも言える事で、堀江貴文という強烈なワンマンの存在は組織を動かしたが彼なき後が問題だった。その結果節操なき売却に無責 任経営者どもは走ったではないか。歴史は繰り返すと言うがまさにそうだ。

 我が盟友はこのようなコメントを加えてこう指摘してくれた。大変ありがたい。
Neutralizer 加筆:我が親友が書いたタイトルに関係していることだが、一昨日TBSの報道番組『関口宏のサンデーモーニング』で中国の経済急成長を取り上げていた。特 に土地関係の投資が相次いでいることから経済学者やジャーナリスト達は我が国で80年代後半に起こった土地バブルが中国で起こっていると言っている。
 急成長は必ず反動を起こすものだ、現に我が国も土地バブルが弾けて不況の波が押し寄せてきたのはご存知であろう。
 あのパナソニックの創始者、松下幸之助は生前、経済成長率は7%を維持するのがよく、それ以上は実力以上の借金経営だと言っていた。(岡本隆三著:『韓非子入門』より引用)
 超大国を目指すが故に中国は無理な国家経営をしているのだろう。かの国の哲学者、老子も言っているではないか、「爪先立ちすれば足元がぐらつく」と…。