2013年10月4日金曜日

在日 外国人と帰化とネトウヨと非ネトウヨ(パブロン中毒さん)





 拙ブログの論客陣の一人でもあるパブロン中毒さんからコラムをいただきました。
 まことにありがとうございます。さっそく掲載いたします。




 さて、なんとなく日本語を忘れそうな気もしてきましたので…嘘ですが…今日は、在日外国人と帰化とネトウヨと非ネトウヨ、について、語ってみようと思います。

 まずはネトウヨについてですが、まあですね、彼らのやっていることで、わけのわかること、筋道の立っていることというのは何一つありませんので、とにかくわけがわからないというわけですが、強引にでも整理してみますとですね、

在日外国人のうち、特別永住者は不当に優遇されている
 ↓
これは特権というべき
 ↓
そんな特権を与えておくわけにはいかない=そんな特権を持つべき理由がない
 ↓
取り上げろ

 …というのが彼らの、スタンダードな「わけのわからなさ」でありますが、そもそもの話が、「そう言っているおまえらは、日本国籍なわけな」という話であってですね、日本国籍の者が、あらゆる外国人と比べて損をしている、劣った扱いをされている部分というのは、皆無なわけです。
 なのに、「自分よりも低い権利の者の持っている権利を、さらに取り上げろといって怒っている」というのは、いったいなんでなのか、さっぱりわけがわからないという話です。
 私が思いますには、彼らは「自分自身がなんであるのかを、知らなすぎる」のではないかと。
 日本国籍であるネトウヨは、あらゆる公職に就くことができる、どんな犯罪を犯しても、強制送還されない、これについては、特別永住者であっても、どちらの権利も、完全に満たしているわけではありません。
 間違いなく、「日本国に住むうえでの権利」からいえば、特別永住者<ネトウヨである。
 …ですので、例えば、特別永住者の在日外国人Aと、非特別永住者の外国人Bが、共謀して軽犯罪を犯したとする。
 すると、Aは強制送還されなかったが、Bはされてしまった。
 BがAに対して「おまえはトクをしているじゃないか!」と言って怒り狂う…というならばまだ、わかります。
 しかしネトウヨは日本国籍である。
 どうして「ものすごいことをやらかせば強制送還される可能性があるA」「どんな公職にでも就けるというわけではないA」を「ねたむ」のか、Aが持っている権利をことごとく取り上げなければ気が済まないのか、そこいらへんが、果てしなく、意味不明なわけです。

 ネトウヨはもしかして、
 ものすごいことをやらかせば強制送還される可能性があったり、
 ほとんどの公職に就けなかったり、
 選挙権がなかったりするA「よりも」、
 自分のほうが悪い待遇をされているというふうに、思っているのでしょうか。
 そんなバカな。

 さて次に、「非ネトウヨ」について触れます。

http://blog.livedoor.jp/alex_6/archives/65724734.html

 この人は、以前に私が交流をしていたことがある男性でして、かなりのインテリというふうに思われます。
 その人が書いている内容が、「これ」だったわけでして、これを見たときには私は、非常にびっくりしたと。
 そのころにはもう、交流は全くなかったのですが、ああ、このくらいに頭のいい人でも、こうなのかと、日本人って、やっぱり国際感覚も、人権感覚も、ダメなんだなあと、思ったわけでした。
 この人は、日本人であって、高い教育を受けていて、よい仕事にも就いているというように、見受けられます。
 たぶん30代後半で、まだ独身でして、なので趣味のサッカーに入れ込んでいるヒマもあるというわけです。
 経済に詳しく、相場を張っていたことがあるとか、いっぽうでは哲学の本を読むような人でもあります。
 まあ、日本人としては、平均どころかかなり知的レベルが高い人であるといえるでしょう。友人には、ボートを持っている人もいたりしますから、彼自身も、経済的にも余裕があるようです。
 そんな彼にして、
 「定住外国人は、帰国する意志がないのであれば、最終的には帰化してもらわないと困る、それが目的のはずである」
 というふうに、言い切ってしまいます。
 まあこのへんのセンスが、「普通に日本人」なのでしょうが、普通に日本人なセンスとは、国際的にはぜんぜん通用しないレベルであると、まあそういうことなんでしょう。
 この人の論理でいけば、「特別永住者の民族教育などは、必要がないから、することはない」ということになりますね。
 そんなもんは、目的からすれば、そもそもやる意味ないだろと。
 そしてこの人は、「帰る気のない外国人」に対しては、「おまえさあ、いつ帰化すんの?」「早くしたら?」という視線を、常に向けていると、そういうわけです。
 なんというとんでもない、人権感覚なのでしょうか。
 こういう人が、「日本のエリートのうちのひとりである」という事実が、そら恐ろしい気がします。
 彼は「悪気がない」わけでして、帰化することが、本人のためでもあると、そういう認識ですね。ですから余計に、始末が悪いのです。

 明治~戦前には、日本は多くの移民を送り出していた時期がありました。
 そういう場合には、「現地で市民権を得ること=帰化すること」を目的として、送り出していたのです。つまり、「帰って来なくていい」というふうに、送り出していたのです。
 そういうわけでしたから、第一次大戦後くらいから、中国の利権をめぐってアメリカとの関係がまずくなったときに、「おまえとこの移民には、市民権を制限するぞ、毎年何人までしか新規に認めてやらないとか、そんなんだぞ」とか「もう市民権をやらないからな」というふうに言われたときには、日本国政府は、ヒジョーーに、あせったわけです。それは困ると。
 それでいろいろ努力したのですがそもそもの話が、「朝鮮半島だけでなく、中国を独り占めにしようとしていた」わけですから、アメリカに対して一歩も譲りませんので、移民の人権問題が改善するわけがありません。
 そして最終的には、「アメリカに送り出した日本人がいっぱいいる」にもかかわらず、真珠湾を攻撃してしまいますから、アメリカに送られた日本人のうち、市民権を持っていてもいなくても、10万人くらいの人が、西部の強制収容所に入れられてしまい、なおかつ、その人たちは、なんとか家族の立場を良くしようと思って、志願してアメリカの兵隊になります。
 その中には、昨年亡くなった、ダニエル・イノウエなんかもいたわけです。
 そして、当然のことながら「日本兵なんか使い捨て」ですから、最も危険な前線に送られて、それはヨーロッパでしたが、文句も言わずに率先して、アメリカのために死んでいったわけです。
 本当は「アメリカのため」ではなくて、収容所にいる家族の待遇を良くするためでした。

 そういう悲しい時代がありましたが、はて、そのころの「移民」の「目的」と、現在の日本に居住している特別永住者の外国人や、特別永住資格がなくても長いこと住んでいて、帰る気もあんまりないような外国人たちを、「同じ条件で見てもよい」のでしょうか。
 そもそも母国語が話せないからといって、「帰化するべきだ」という、そういう話なのでしょうか。
 そうではありません。
 ほかの定住外国人についてもそうですが、「戦前の移民」と同じように「帰化が目的なんだから、それに添った振る舞いをするべきだ」というふうに考えてもいいのでしょうか。
 そうではありません。
 「帰る気がないなら帰化するべきだ」「帰化する気がないなら帰るべきだ」という「前提」が、そもそも「恐るべき」間違いなのです。


 さてここで、少しだけ、私が知っている特別永住者の外国人の方々の事情について、私の個人的な憶測を述べてみたいと思います。
 特に韓国籍・朝鮮籍の方々は、毎年何千人も帰化していますし、いっぽうで高齢者はどんどん亡くなっていますから、全体の人数は減り続けています。
 その中に、「帰化するつもりがない」「当分は帰化する予定がない」という人たちが、おられます。
 私はもちろん、それについては、日本人がどうこう言う問題ではないので、干渉するつもりも、評価するつもりも、全くありません。
 ひとつ言えることは、「帰化するつもりがない(当分はも含めて)」という場合には、多分に、「在日コミュニティ」の固い絆、結束、それに対する配慮が存在するのではないだろうかと、いうことです。
 この「絆・結束」は、それが「必要だったから」こそ、固くなったわけです。
 とことん冷遇されていますから、結束しなければ生きていけないからです。
 ですからそれを固くさせたのは、われわれ日本人であるわけです。
 または「身内への配慮」ですがこれは、意味あいとしては「自分以外の在日コリアンへの配慮」ですから、同じです。
 在日コリアンの人の中には、帰化したくてもできない事情がある人や、もう高齢になって、今さら帰化の手続きをすることも面倒でできないという人や、そもそも日本語の読み書きができないという人など、さまざまおられるようです。
 高齢のコリアンの方々に、ボランティアで日本語の読み書きを教えている場所があるというふうに、以前に見聞きしたことがあります。
 帰化しようと思えばできるという人が、「当分しない」「ずっとしない」というふうに考えておられる場合には、「帰化できない同胞」のことを、主に考えておられるのではないだろうかと、いうふうに私は思いました。
 彼や彼女が帰化しても、一部の人々は残らねばならない、そしてその人たちは差別を受け続ける、自分が一抜けしてもいいのだろうかと、そういう葛藤も、あるのかなあと、そんな気もしました。
 そもそもの話が、「特定の民族や国籍によって、差別されるような社会」でなければそういう悩みは、生まれることはないわけです。

 まとめますと、

①自分よりも悪い待遇を受けている在日外国人のうち、なぜか特定の外国人を「ねたむ」ネトウヨ
と、
②戦前の感覚のまま、「帰る気がないなら帰化するべきだ」「帰化しないなら帰るべきだ」と思っている「日本人のエリート」
と、
③後ろ髪をひかれる思いで帰化する人たち
と、
④仲間のことを思えば帰化することなどできないと思っている人たち
と、
⑤事情があって帰化できない人たち
と、
⑥そういうことは特に考えずに、誇りを持って普通に暮らしている在日外国人の人たち

 などが、存在するというわけです。
 はて、私はどこに位置するのだろうかと。
 私はこのどれにも当てはまりません。
 これを読んでくださっているあなたは、どれに当てはまるでしょうか。または、どれにも当てはまらないでしょうか。
 日本人に生まれた人であれば、①にも②にも当てはまってはならないというのが、私の信念です。