2013年10月10日木曜日

誤解される障がい:発達障がい 見やすい障がいと見えにくい障がい

 今回のコラムは発達障がいという私の障がいを語りたい。
 私はよくトラブルに巻き込まれてきた。初めて就職した会社で私の特性を悪用した上司にクレーム処理を押し付けられて精神的な疲弊をこうむった事すらある。それ故に私はハラスメント罪の導入を呼びかけている。
 私が発達障がいに気が付いたのは2年前である。そしてなんとかいろいろと回り道をしながら働くようになった。今はしんどいけれど、毎日が充実しているようなものだ。いじめられるなどのコミュニケーション障がいが私の障がいだが、この発達障がいはそのほかにもある。

 もう一つのカギになると思うのは、水橋文美江著「みにくいアヒルの子」(幻冬舎)である。
 そこで吉永文也という不登校の少年が出てくるが、かん黙症という障がいがある。正式には場面緘黙症(ばめんかんもくしょう/家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面、状況では全く話すことができなくなる現象を言う。幼児期に発症するケースが多い。別名、選択性緘黙症)ともいう。
 この作品については私はまだましな方だと思う。障がい者を見世物にしていないからだ。だが、善意のようにふるまいつつも障がい者を見世物にするようなやり方には我慢ができない。そうした行為が、障がい当事者への不理解につながる。見やすい障がいというのが知的障がいであり、身体障がいなのだが、精神疾患など見えにくい障がい当事者にとってはそれほどたまったものではない。
 それ故に誤解されしんどい思いをしている人もいる。私の場合は仕事をしており、職場も幸いにして理解を示してくれているためどんなにきつくても頑張りたいと思えるのだが、それが以前なら暴力が横行していたりしていたので精神的に辛かった。

 発達障がい当事者は場合によっては聴覚障がいにもなりかねない。
 たとえば私もよく他の人の話を聞いてしまい話に割ってしまう悪い癖がある。私の持つ障がいは重度だと主治医は診断している。それでも、私はできるだけのことはしたい。その思いでここまでやってきたのだと思う。
 頑張る姿を見せる事で励ますというのも社会的貢献なのかもしれないが、社会人として働くことはそれ以上に立派な社会貢献だ。それをテレビの見世物にされるのは嫌なので、私は職場にテレビ取材が入った場合は即座に断る。「私は社会人として当然のことをしているのであって、障がいというのは個性にすぎません」としか思わないからだ。家族をショーアップの世界にも巻き込みたくないからだ。
 そうした意味では「24時間テレビ」なんぞ私は嫌悪感すら覚えている。そんなものよりも、「見えない障がいバッチ」の普及こそ必要だ。

 みなさんにお願いがある。
 発達障がい当事者にも波はある。その波は激しいが、ぜひとも理解してほしい。理解しろとは言わないけれど、見えない障がいゆえに様々な要因で不調になりやすい事もあるのだということを理解してほしい。
 100%すぐに理解しろとは思わない。せめて、25%だけでも理解してくれるだけでもいい。