2013年9月30日月曜日

差別の根底を打ち砕かない限り意味はない

 ツイッターをやっていて、今回ある議論のきっかけを起こした一人として差別の問題について少しなりとも向き合わないといけないと思う。
 その二人のことは私自身ブログやツイッターでよく知っている。お互いの思いもよく分かる。差別について考えねばならない。

 日本代表のハーフナー・マイク選手(オランダ・フィテッセ所属)が街中で外国人に間違えられて英語で話しかけられたら日本語で返して相手が驚くのを楽しんでると言っていたという。私はこのことはあまりいい気分にはならないが、同時に話しかける方もある種の差別意識があるのかもしれないと思う。
 要するに日本人にはある種、日本語を使える外国人を名誉日本人のようにありがたがるような傾向がある。日本語という言葉はある意味難しい言葉だ。それ故に英語圏の人でもしんどいものなのである(だがオーストラリアでは日本語は第二外国語として勉強されている)。そうした閉鎖的な空気はよどんだ空気を併せ持つコロニーとなって日本を支配する。「空気が読めない(KY)」などその典型例だ。
 そうしたコロニーほど人は楽なのである。その入り口なのがいじめなのである。私自身いじめの被害を受けてきて、その壁を痛感してからコロニーから自らを遠ざけた。それがだが、今社会全体にとんでもない憎悪という悪循環をもたらしている。在日コリアンを中心としたマイノリティへのヘイトスピーチの蔓延である。
 こうしたレイシストほど、欧米人をいわば「名誉日本人」扱いする。かつてのアパルトヘイトが横行した南アフリカのような「名誉白人」だ。さて、この名誉白人とは何か?皆さんはきょとんとするだろうが、答えは日本人なのである。南アフリカはアパルトヘイトをやっている最中欧米諸国から制裁を受けてきたが日本から支援を受けていた。その見返りにこんな呼び方をしていたのだ。これを屈辱的と言わずしてなんというのやら。
 スポーツ選手の話でたとえよう。今はタレントになっている小錦がいるが、彼は横綱に昇進できなかったのは差別だと弟子がしゃべったために騒動になった。だが、その弟子の指摘は間違っていなかったのだ。なぜなら、外国人力士が引退して相撲界に残るには日本国籍を取得して親方株を買わなければならないからだ。それに私は思うのだが、力士の故郷の国の国旗と国歌をなぜ掲げないのだろうか。力士の優勝時には必ず決まって日の丸と君が代だ。こんなことが当たり前と思うようなら、そこから疑わしいと見ないとダメだ。ゆえに私は相撲から身を切り離した。
 さらにこれは2009年5月27日にフジテレビ系列で放映されたグータンヌーボ。そこでゲストは金妍児選手だったがホストの内田恭子が英語で話そうとしたら日本語で金選手が話してきて内田は驚いていたが内田のとんでもない不勉強に私は驚いた。金選手はフィギュアの関連部材をジュニア時代によく来日して購入していたことを考えれば日本語はそれなりにできて当然だ。これではまったく一人の女性を見世物にしているとしか思えない。
 こうした異様な実態なのに、日本のメディアはやれダルビッシュだの、イチローだの、ミキティだの、本田だのでかしやかましい。それで何が見えてくるのか?彼らのプライベートは見えても我々の生活はどうなのだろうか。全く見えてこない。
 更に驚くべき認識不足の人がいた。アーサー・ビナード氏である。「ヘイトスピーチの根源は、ネットではない、貧富の差」と9月29日のサンデーモーニング(TBS系)で語っていたようだが、私は単に貧富の差だけではないとみている。レイシズムを悪用したムーブメントがこの数年間あった。自民党による「自民党ネットサポータークラブ」である(アメリカで言うクー・クラックス・クランでありドイツで言うネオナチ)。そこで愛国をあおるヘイトスピーチを自民党は流しまくった。そこからネット世論をあおり、印象操作を行い政権窃盗をやってしまった。まさに野党時代に反省の一つもせず、自身の正当化ばかりに終始し、差別をあおった自民党の罪は際立って重大だ。差別の根底そのものを厳しく批判しないと意味はない。日本国憲法改悪を目論んでいるのはそうした己らへの後ろめたさ故であることは明らかだ。そこを共産党に暴かれているのである。
 私はレイシズムを放置するわけにはいかない。在日コリアンをレイシストの要求通り韓国や北朝鮮に戻したとしたら、次に彼らは障がい者や欧米人の帰国や移民を要求してくるのは間違いない。そうして排斥して最後に自分たちの中でも排斥運動を起こす。こんな悪循環を招いていいのだろうか。
 なぜこんなことが起きたのか。私が見るに日本人は残念だが議論は苦手だ。欧米はこれこそ国が連なり、戦争が頻発していた。サッカーを見ればわかるが、サッカーボールは骸骨が名残なのである。南米ではコパ・リベルタドーレス(通称南米選手権)があるが、これもちゃんと訳せば解放者((スペイン語・ポルトガル語:Libertadores)は、スペイン、ポルトガルからの南アメリカの解放戦争を指導した者のこと)を意味するのだ。
 故に外交交渉力が求められ、高度な議論や説得力が必要になった。だが、アジアの場合、それも際立って日本の場合それが苦手だ。なぜなら周囲を海に取り囲まれていて戦う必要というのはそれほどなかったからだ。あったとしても内戦だ。 そんな状況で議論を交わす能力などハッキリ言ってないのが現実なのである。
 だから、夕刊フジだの東京スポーツのような程度の低いパパラッチが勇ましいことを喚けるのである。そうした連中ほどアメリカに拠りたがる。だが、アメリカを見ると分かるように移民国家なのであり、アメリカ料理というのはない。あるのは各民族の文化の喧嘩であり、尊重だ。それも分からぬ安倍自称政権はアベノミクスなるバブルで有頂天になり悪税消費税の8%不当増税と法人税の不当値下げを画策しているがまさに差別政策だ。安倍自称政権に欠落しているのは税制民主主義の基本だ。国民を恐れる政治でなければならないが安倍は国民を侮辱する政治ばかりしている。そんな安倍に私達は「No!Go Away!!」と言ってやらねばならない。
 ビナード氏に言わねばならないことはある。アジアを欧米のフィルターで見ていないだろうか。これでは「オリエンタリズム」の過ちを繰り返している。そうすればするほど、日本とアジアは不安定になりアメリカは軍拡路線で走る、そこで儲かるのは軍需産業の悪循環だ。 
 私は思考的には北欧的な傾向が強い。だがアジアには一気に導入することは無理だ。手本にしつつもアレンジを加えてやっていくしかないのだ。

 私は国籍を取得した外国人を特別扱いするつもりもないし、日本語をしゃべれる外国人でも動じない。
 むしろ逆に私は外国人からその母国語を学ぶぐらいの貪欲さを以ていいと思う。異なることは恥ではない。その中で喧嘩だってあるはずだ。私が移民による国の活性化に賛成しているのはそうしたものの作業で日本の活性化につながると考えているからだ。ただ、あくまでもあるべきは人としてであり、経済の歯車として考えてはいけない。


 なお、今回のコラムですが異論や反論についてはネチケットに従った形でなら受け付けます。
 そうした形でなら議論は前向きになります。